なぜ日記に書いたのか

上記のコメントは恋愛について書いたものですが、恋愛以外でもまったく通じる話だからです。恋愛に限らず、「他者との関係」というテーマで通じると思ったので、こちらに載せることにしました。

「恋人」を「友人」に、「恋愛」を「友情」に置き換えて読んでいただければ、納得される方は多いと思います。

私は、「他者」との関係でよくつまづく人やうまく修復できない人の話を聞くと、多くの場合、安直な対応しかできていないと感じます。さらに言えば、他者に対してというよりも、その人自身に対して安直な対応をしていると感じることが多いです。
私は当然、その人のコミュニケーション能力を低いと判断しますが、以下の能力も低いと判断します。*1

  • 思考力
  • 内省する力
  • 気づく力
  • 感じる力

これらは大きく括れば思考力に統合されるでしょう。私は、コミュニケーション能力と思考力とは、とても関連が深いと考えています。
思考力は知識とも関連が深いですが、知識量とは比例しません。ですから、物知りであっても思考力が高いとは限りません。また、年齢や経験とも比例しません。しかし、コミュニケーション能力とは完璧に比例すると考えています。

思考力には「発想」「想像」「整理」「構成」「評価」「決断」「共感」など様々な力があり、コミュニケーション能力はそのどれにも関係しています。特に「共感」が強く関係していると思われるかも知れませんが、個人的には差はないと感じています。「共感」できても、冷静かつ正確に「評価」できなければ、よいコミュニケーションは取れないと思うからです。

これを書いている時点では、書き手として納得できる程度に解説する余裕はないですが、有益な文章を書けそうな気がしていますので、今後、少しずつ書き溜めていこうと考えています。
※ ただし、完全に整理された論理展開は期待しないでください。理論として構築しようと思っているわけではないですから。

*1:これは非難するわけではなく、そう判断するというだけです。たいていの場合、そう判断した後は、できるだけ早くその人のコミュニケーション能力を上げる手助けを模索します。そうしないと、よいコミュニケーションが取れないと判断するからです。