礼儀作法という教養

…って、なんでこんなことを言い出したかと言うと、騒音がひどいんですな、上の階の。入居の際に挨拶には来たんだけど、「うちには子供がいますから」だと。
だから?
うるさくてもガマンしろと?
意味がわからんよ。その時点である程度は覚悟してたけど、まあ普通のうるささじゃないのだよ。そりゃあ引越しおばさんほどうるさいわけじゃないけどね。それでも防音がしっかりしてない建物の上階で走り回られたら、下の階は音も振動もすごいわけだよ。それでも彼らの言い分は、「子供だから仕方ない」なんだろう、たぶん*1。騒音に悩まされる側の被害はどーでもいいんだな。
で、彼らや彼らの生み出す騒音にはもちろん不満があるわけだけど、つらつら考えてみると、静かに生活できない人ってのはそういう意識がそもそも無いんだろうと思い至った。概念が無いんだな。
礼節ってのは無意味な形式ではなくて、形になった思いやりなんだけど、それがわかんないんだろう。そういう輩に「気を遣え」と言ったところでどうにもならん。まったく災難なことだ。ついでに言うと、管理してる不動産屋には過去に別の入居者の騒音について何度も相談したんだけど、手を打つ気配は一向に無い。神経質な入居者だなあという態度がありありだ。なのでもう相談することは無いな。ばからしい。

私は幼かった頃に普通に礼儀作法を躾けられたし、無作法をすればひっぱたかれもした。それを厳しい躾だと思ったことはなくて、今も当たり前のことだと思っている。ひっぱたくのがいいか悪いかは別にしてね。思い返してみると、同年代でもそういうところがしっかりしてる人に会うことはあまりないな。見る人が見れば、私もてんでなってないんだろうけど(^_^;)。

んでね、私が躾けられたのは日本のマナーなんだよね、昔からの。日本家屋や日本人同士での。茶道や華道みたいなきっちりしたものじゃないので、私だって偉そうに言えるほどのもんじゃないけど、それができてないというか、全然知らない人が意外に多い。上の階の人に限らずね。

障子や襖の開け閉めとか、畳の上の歩き方とか、そもそもすり足ができてないとか。戸の開閉なんて、バンッ!なんて音を立てたら音を立てた自分がびっくりする。食器の洗い方なんかにしても、かちゃんっなんて音を立てないように気を配って洗うのは普通のことだと思ってた。
でもなんか違うんだね、世の中では。
で、そういう人を見るとよくわからない不愉快さを感じていたんだよね。言葉にしてみれば、嫌がらせ?それとも怒っているのか?とか、みっともないなあとかが近いんだけど、しっくりくる表現が見つからない。自分が何を感じているのかよくわからなかった。でもまあ、わざとやってるんでなければ、当人にとってはごく普通の生活なんだなってことくらいは徐々に気が付いてきた。
よっぽど、「もうちょっと静かにしてくれないかな?*2」と言った方がいいかなと思う。が、自分に置き換えると礼儀作法のことで他人に注意されるってのは、とんでもなく恥ずかしいことなんだよね。だから付き合いが深くても注意はしにくい。付き合いがなければなおさら言いにくい。ってことは、そういう人たちは、いつまで経っても自分のみっともなさに気が付かないんだろうなあ。

いい大学を出ていようが、一流企業に勤めていようが、そういう基本的な立ち居振る舞いが出来ていない人は、とても教養があるようには見えない。知識や実績があったとしても、がさつで野蛮で学の無い人だと感じてしまうんだよなあ。

教養に価値を見出さない親に育てられた子は、やっぱり教養に価値を見出さないんだろう。そういう子は大人になって、「自分は努力に見合った評価をされない」と不満に思うことがなんだか多そうだなあと思う。

あ、単に毒づいてるだけなのでオチはないよ。

*1:入居者の文化的な生活にはまったく無関心の不動産屋もな。

*2:できるだけ柔らかめにね。