世の衡器*1

セキュリティ専門家が総務省を提訴したという記事を読んで。
身内に甘いということは自分に甘いということで、それは私事であり私情で判断しているということだ。自らの安全のみを目指すなら私事でけっこうだが、他者の安全を預かるなら公事である。現に公職に就いているかどうかは問題ではない。
公事は、衡器でなければ務まらない。
衡器は秤。秤は自分の感情や立場によって善悪や正誤の判断を曲げたりしない。ゆえに万民が信じて用いるのだ。
善用を意図して公事にたずさわる者は、誰であれ衡器としての自覚がなければならない。量るごとに値が変わるのでは、衡器としての用を成さない。「信」じて「用」いられることがなくなってしまう。
私はNuwere氏には衡器としての自覚を感じるが、安全でないものを安全だと言い、にも関わらず「総務省としては、Nuwere氏の発表によって悪意を持った者の攻撃を誘発する懸念を主催者側に伝えた」と述べる総務省には衡器としての自覚を感じない。
衡器としての自覚がない者が公事にたずさわることは世の混乱の元である。公職に就くものは衡器としての信用を以って就くべきであり、衡器としての信用をなくした者は公職に就いてはいけない。用無しである。
また、他者の安全に関わるという意味ではセキュリティ関係者も同じ。衡器の自覚無くば、程度の差はあれ知識を悪用する者と同列と見なされてもやむを得ない。
※ とか言いつつ、会社から更新してたら説得力に欠けるわけですが(^_^;)。