id:bmpさんと、id:svnseedsさんのコメント

あんまり続けたくないと言ってるところにコメントしちゃってすいませんが、なるほどね。馴れ合いと言われるかも知れないですが、親近感を持っちゃいますね。

ただ、私は生きることに意味は必要だと思います。(特殊な場合を除いて)最初から定められた意味は無いのだとしても、意味も無く生きていると感じることは辛いことです。辛くてもがまんするとか言う次元の話ではないので、無理にがまんしていると生きる気力を失っていきます。*1

「今生きることを主体的に選択する(肯定する)」ためには、意味は必要です。人間がそれを求めちゃうのは、自分が生きることを肯定したいからです。だからこそ、それがうまくいかない時に苦しいと感じるのであって、その苦しさから逃れようとするから、生きる意味を求めるんじゃないでしょうかね。
だから人間には生きる意味は必要なんです。それが明確なら明確なほどいい。疑いようもなく、自分は生きていていいのだと感じ、生きていたいと思い、生きようと思う、そのための「理由」が必要なんだと思います。


それと、なくなると嫌なのでid:svnseedsさんところのコメントを一部転載。

# bmp 『まぁ苦しさは言えないことにあるから、吐き出せるという状況がどういう状況なのか、推測しかねるってか、俺の判断だと、それを言えるときは倒錯しかけてるか、ヒロインか、なんだけど、彼女の場合は倒錯の方に近いと思う』
# bmp 『ポイントは憎しみの対象を明確にしている点、自分に制約を課してる点、理解できない大人を思いやってる点(被害者の両親をあまり責めないであげてってところ)、倒錯に傾くきっかけは多分、不平等、差別を受ける自分に言い訳が成り立たなくなってくる時かな、』
# svnseeds 『自分に対する言い訳ってのはいいポイントですよね。素直に受け入れるには辛すぎる事実は、いったん脇に置いておけるように自分の気持ちを誘導することは(特に10代のうちは)重要な技術だと思う。』
# svnseeds 『じゃないと無限ループになっちゃって、悩むために悩む状況になってしまう。そのためには自分の立ち位置をいったん相対化する必要があるんだけど、若いと世界が狭いからこれが難しいんですよね。』
# svnseeds 『大抵は自分の立っている位置は親の価値観+αなんですよね、最初は。これを捨てる必要は必ずしもないけれど、捨てちゃっても良いやくらいの勢いで自分独自の立ち位置(結果として元の位置でも良い)を見つけられないと、自分で自分を評価することが出来ないので幸せの定義も自分で出来なくなる。』
# svnseeds 『難しいのは、自分独自って言っても所詮は借り物の寄せ集めだってことですな。この辺の話はジャズの演奏のスタイルの話に通じるものがある。』

自分に対する言い訳かあ・・・。私なりの言葉で言うと、

  • 生きることを肯定できなくなる環境にいる → それを受け入れるか反発するかしかなくなる
    • 受け入れる = 自分には生きる価値がないと認めること
    • 反発する  = 自分を否定する"世界"を否定し壊そうとすること

でも、どっちもやりたいわけないんですよね。やりたくないけど、環境はどっちか選べと迫ってくる。だから苦しい。しかも、なぜ苦しいのかを理解することは余計に苦みを生む。よく言われるように、これは親から子へ連鎖していくもののようで、子にそういう思いをさせている親もまた、別の形で苦しんでいることが多いわけで、それを思うとまた悲しい。

*1:生き続けることに意味を見い出せたら、また別ですけどね