有望な人に出会うと思うこと

またもや面接の担当になってしまってるわけだが、今回は予想外に多くて落ち着けない。実際のところ忙しいというほどではないけど、責任もあるので精神的に疲れてしまう。

ただ、そんな中でも有望な人に出会うと、嬉しくてとたんにやる気が出てくる。

今日も有望な人に出会えた。すごく幸せ。

思うに、有望な人には割りと会って来てるんだよな、おれ。
ただ、有望ってのは「今」有望だと感じられるだけであって、今後も有望である保証はどこにもない。年齢や経験によって有望と感じられるかどうかは変わってくる。

若いのに…とか、男(または女)性なのに…とか、門外漢なのに…とか、未経験なのに…とか。平均と思えるレベルよりも上だと感じられる、それが有望って直感を生むんだと思う。
だから一時期誰かに有望だと言われても、時期がずれたり環境が変わると才能が無いと言われるようにもなる。

というか、そもそも有望って言葉はバカにしてると言えなくもない。実力があると評価してるなら、有望どころか即戦力としてカウントしたいわけで、そこまでの実力があると思ってないから有望って評価が出るんだと思う。

要はそこからどう鍛えていけるかであって、初期値が高くても経験をうまく積めなければ戦力としてカウントされないままなんだよね。不満を感じるのも文句を言うのも転職するのも、そりゃ本人の自由なんだけどさ、それやってるヤツは人間的な成長が少ないから、結果として役立たずかパシリにしかなりそうもない。自分じゃ「できる」と思うかも知れないけどね。
しかし、どんなにまっとうでもっともなことを提案できても、人間的に一目置かれなければ、提案が採用されることは無い。提案してる人物がそれほどでもないと、提案自体もそれほどでもないように見えるから。

物事は表面だけ見てたってダメで、裏の事情や他人の気持ちや行動原理までよく把握した上で評価・判断できないと、信用するには足らない。でも、自分は把握してると勘違いしちゃってると、いっぱしのつもりになって未熟な部分の成長を止めてしまう。

自己評価は低くちゃいけないけど、高過ぎてもいけない。謙虚かつ冷静に見れなきゃ意味無いし、ひとつでもふたつでも上の視点で自分を評価できないと進む道を誤ることが多いと思う。いい導き手に巡り合えれば幸運だけど、そればかりを期待するわけにもいかないんだから。

そんなこといいつつ、おれはいい導き手に困ったことはただの一度もないわけだが(笑)。