アイデアをお金にできる力

正確にはアイデアというのは、およそどんなものであっても、ダイヤの原石なのです。それはあらゆる炭という炭、炭素という炭素が、等しく人工ダイヤの原料となるのと同じです。

そのダイヤの原石は、そのままではお金になりません。
研磨し、磨き上げ、カッティングしなければならないのです。

問題はダイヤの原石を拾うことではなく、それを磨き上げ、美しくカッティングし、宝石という商品として完成させることです。

ところがアイデアの乏しい人ほど、たまにみつけたダイヤの原石をありがたがります。しかしそれは大きな間違いで、気がつかないだけでダイヤの原石や人工ダイヤの原材料などはあちこちに転がっているのです。

重要なのは、それを磨く人であり、宝石の形に仕上げる人間のセンスであり、それを陳列してお客様の手に届ける人、お店、そうした仕組みそのものです。

よく、「あのアイデアは俺が先に考えて世に発表したんだ」と憎憎しげに言う人がいます。特にクリエイティブな業界にはうようよしています。

しかし、こういう人は100%大成していません。それどころか常に成功とは縁遠いところにいます。

なぜならば、彼らはアイデアそれ自体の無価値さを知らないからです。成功する人はアイデアそれ自体の無価値さを知っている人です。なぜならたったひとつのアイデアから実際にそれを成功させるまでに、血のにじむような努力と、創意工夫と、そして幸運が必要だからです。

たしかに、斬新かつ巧妙なアイデアさえあれば、あとは教科書的な手法を組み合わせるだけであっても、Google に匹敵する(あるいは凌駕する) サーチエンジンを作れる可能性はある。現に Google 自身が身をもって示しているとも言える。だが、それを実際に出来る人は驚くほど少ない。仮想モデルで「できるはずだ」ということと、動くものを示して「ほらどうだ」ということの間には、天と地ほどの差があるのである。
実際問題としても大規模疎行列を扱うこと自体、通常の手法では相当困難であり高度な専門技術を要することである。頭の中でなんとなく理解できることとそれを実現できることとの間には、絶対に埋めることの出来ない格差があることを銘記すべきだ。あまり軽々しく考えてはいけない。

やねうらお氏の日記のコメント欄にコロンブスの話が出ている。
コロンブスの話はたいていの人が知っていると思うけど、それを身に染みて知っている人は少ないのだろう。私も話は知っている。しかし、身に染みて知っているかと言えばそうではない。
イデアを思いつく力とアイデアをお金に結び付けられる力には、とてつもない差があることを思い知らないといけないな。まずはそこから。