「支配」について考える…を読んで

くわー、全文引用したい誘惑にかられる!!

相手のためになるから、相手のためだから、と言って、いつのまにか相手を自分の「支配下」に置きたくなるような誘惑に注意ということだろう。いろんな形の誘惑がある。

ああ(嘆息)、やってしまいがちです。それを支配と意識したことはありませんでした。

支配はおうおうにして、相手の個性を無視する。相手の都合を無視する。相手の意思を無視する。

ぐぐぐ…。
自分を省みると、たしかに無視している側面があるように思う。いや、あります…。

と、そこまで考えてきて、ふと、人を支配したいと思う人は、自分自身が「支配したい」という欲望に支配されているのかもしれないと思った。少なくとも、私がはっと「あ、これは人をコントロールしたがっている」と思うときはそうだ。我知らず、欲望に支配されている。つまりは奴隷になっている状態。自由ではない状態。怖いなあ。

もうなんか、この辺で感動しまくりです。

他者の目が必要だな。フィードバックが必要。他の人から耳の痛いことを言われたときに、(たとえむっときても)きちんと耳を傾ける姿勢が大切かもしれない。そのためには自分の中の何かを殺さなければいけないね。
自分の中の殺すべきものを殺す。生かすべきものを生かすために。

結局ほとんど引用してしまった。でも、これを見た人には、ぜひ全文を読んで欲しい。
示唆に富むとか名文とか色々誉め言葉は浮かぶけど、なによりまず、人を感動させてしまう文章だと思います。結城さんが他の誰かではなく「自分に向き合っている」ことが、この文章のすばらしさの元なんでしょう。
見習いたい、と、強く思う。